幸せとは?
かれこれ20年以上は考えてきた。
左脳のおしゃべりを止める、執着を捨てる、自我を手放す、自分を薄くする、サードアイの開眼。
様々な言葉で「幸せになる方法」が語られている。
結果、幸せになりましたよ!!って人はどれくらいいるだろうか?
昨日、サウナからの帰り、全身が脱力していた。ふと青空を見ながら思う、普段どれほど眉間や頭に力が入っていたことかと。
そして考えた。幸せとは「なる」ものではなく「である」という状態なのではないかと。
例えばRPGで1歩すすむ度にHPが減っていく毒状態、スターを手にしたマリオの無敵状態。
何か周りの環境によって幸せなのではなく、状態。しかも特別な無敵状態ではなく、通常状態なのではないかと。
そこで考えた。そもそも自分にとっての幸せの定義を人生で一度もしたことがなかった。
だからフワフワしていて、貯金がいくらないから不幸だ、忙しいから不幸だ、才能がないから不幸だと不幸の定義ばかりが進んでいたように思う。
明確にしていく、俺の幸せの定義は、1番は寝ている時間が一番幸せだ。次に何もしていない時間、その次にブログを書いたり、考え事をする時間、そしてサウナでダラダラする時間、ステーキを食べてる時間、スロットで当たっている時間と続く。
逆に不幸の定義は「漠然とした不安を抱えた状態」だ。お金の不安、スロットで負けている時間。
今は仕事がないおかげで時間も人間関係も、自分を不幸に引っ張る要素は一つもない。自分起因(スロット)だけが一喜一憂させてくる。
こう考えていたら今の1秒も、この1秒も、幸せの定義に当てはまっている。俺は今、幸せらしい!とんでもない発見だ。そして意識したい。この幸せという時間、その状態はどれくらい継続しているか?何が状態変化を起こしてくるか?
仕事を辞めたら幸福度が上がってきた。
そしてそれは一般に言われる手放すとか感情の難しい話ではない。だって環境に巻き込まれていて手放すなんて無理なんだ。
環境を丸ごと変えて、自分の状態を変化させないといけない。
幸福や不幸はアップダウンのあるものではない。あくまで状態としてニュートラル、通常時が幸福という状態でなくてはならない。
きっと60過ぎて定年を迎えてから多くの人はこれに気づくのだろう。
20年早く気づけてよかった。今日は人生の24時間のうち何十時間、幸せという通常状態でいられるか意識したい。無職36日、追い求めていた生き方に気づけて本当に嬉しい。
そして幸せの先に何があるか、先が楽しみになる。



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