熱狂と言えば、今、巷はワールドカップで盛り上がっている。
俺は相変わらず、全く興味がない。他人の輝かしい努力を見ている余裕なんてないのだ。
俺は学生時代、少し音楽をやっており、一丁前に音楽の道を志したこともある。当時の彼女がスキマスイッチが好きでLIVEを見にいったのだが、観客全員が同じ縦揺れをしているのに対し、ある程度、同調圧力で俺も縦揺れしないといけないのかと思い絶望したのを思い出す。
なんで俺がステージに立っているのではなく、俺は観客なんだろうなんて。
俺はずっと何者かになりたかったんだろうな。最近はSNSって刺激が強すぎるなと感じている。
SNSは俺の興味を学習してどんどん刺してくる。しかもそれらは全て俺の理想の最高峰たちだ。
金を持ってる、美女をハベらしてる、筋骨隆々、キラキラしている。一丁前にそんなものに嫉妬したりする。意外と人には社会的欲求があり、何者かでありたい、認められたいという思いがあるのだろう。孤立した犯罪者が「誰かの記憶に残りたくて」罪を犯す気持ちが何となくわかる。
俺はまだ夢もあるし、好きなこともある、だからある種、自由だからこそ他人から奪おうなんていう気持ちはない。だけど世の中の炎上騒動、争い、罪の諸々は「理解されたい」「自分のことを知ってほしい」「俺に気づいて」「助けて」なんていう思いからなんだろうな。
純粋な怒りなんてそこには一切なくて、漏れ出るやるせないエネルギーをどこかで共感し合わないと人は生きていけない。人のエネルギーは一方通行ではなく、交流なんだ。それにより幸福は生まれる。
そういった意味で俺はどうなんだろう?誰とも交流をしない、自分の生きる意味も見えていない。ただ漠然と憧れていた自由を手にして、何も問題のない日々を過ごしている。
時々あまりのスカスカさに、何かを成し遂げたくなってくる。でも成し遂げたいことが資産1億円をFXで作り、運用益で世界中を旅したいしかない。日常における理想は何もない。
世の中の人はどんな気持ちでワールドカップに熱狂しているんだろう。
娯楽のなかった時代に闘技場で人と人が殺し合う姿、そこで「殺せ!殺せ!」と叫ぶことでスカッとしたようなことなのか、はたまた誰かの熱狂に応援という力を添えたいのか、すでに自分が何者かであるから、何者でもない今を享受したいのか。
やっぱりわからないや!俺には熱狂がないみたい。
とはいえ意識レベル1,000のうち、熱狂というポジティブそうな状態が77番目に来ている。78は興奮で79は欲望、80は貪欲で81は所有欲だ。そう考えると熱狂って本当に素晴らしいことなのかな?人間が捨てるべき感情なんじゃないかな?なんてね。
案外、なんで応援されるのが俺じゃないんだろう。そうやって冷静に絶望してる人間は未来を諦めていないのかもしれない。
とはいえ、熱狂したい何かがあるというのは素晴らしい。そこからしか何かは生まれない。そしてあなたは何かを生み出せる側の人間である。答えなんて誰もわからない。今のこの一瞬、俺は幸せだと決めたら、それを否定する障壁はどこにもないんだ。俺もお前も幸せだ。そうやって今日も世界は動いていけばいい。



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