意識レベルが本当に上がった気がする。
ここ最近のFXボロ負けは依然として続いているが、昨日感じたことが真理に思える。
条件付けのある幸せなんて意味はない。例えば資産がいくらあったら幸せなのにとか、何かを持っていたら、鼻が少し高かったら、整形したら、健康だったら、悩みがなければ・・・。そうやって条件付けをする限り幸せにはなれない。
なぜなら幸せとはそもそもそういう視点ではないからだ。
成功者は語る「運が良かった」と。そして全てに感謝をしている。俺の知り合いのお金持ちも口癖が「これ、ありがたいね」だ。
感謝が先か、成功が先かはわからない。でも感謝の先にしか「幸せ」はないのかもしれないというのを強く感じ始めてきた。
そこで思った。とはいえ、感謝って何?感謝ってどうやるの?具体的に何すればいいの?と思った。
鏡の前で自分に「今日もありがとう」といえばいいの?神社でお賽銭を入れればいいの?神様、今日もありがとうございますと祈る?墓参りをして先祖に手をあわせる?壺かクリスタルでも買って塩で清める?
俺、学校教育の一番の問題が何かって気づいた。「感謝の仕方」を教えないこと。だから人は迷う。善行を積んだら本当に幸せになれるの?だってその前に奪われるじゃん、競い合って潰されるじゃん、なんで損しなきゃいけないの?自分ばっかり。そんな気持ちにばかりなる。
だからって宗教に入門しましょう!ってわけじゃない。あくまでも「条件付け」ではないと俺は思う。
宗教に入ったら、献金したら、免罪符を買ったら、水で清めたら、滝に打たれたら・・・タラタラではない。
感謝とは視点を変えることなのではないかと思った。
自分という存在で目の前を主観的に捉えると地獄なことが多い。今日もお金がない、FXで負けた、ギャンブルで負けた。片山さつき財務大臣が牽制発言ばかり、高市首相は円安誘導しまくり、物価は高い、政治何やってんだ。モームリ!怒りが込み上げる。
実際、俺もすごく怒りが込み上げてきて、ルサンチマン、高市首相のXに「円安放置しないでください」とコメントした。
主観の視点で見ると守りたい自分で腹の立つ社会だ。
でも、例えば視点を少し上げてみる。お金を払っていないのにスーパーは冷房がキンキンにかかっている。スロットという楽しい遊びを誰かが開発してくれている。版権となるアニメも誰かが考えた。誰かがその缶コーヒーを作り、誰かが景品のカロリーメイトを作り、俺が今日を楽しむために誰かがこの社会システムを作ってくれた。
自分で1からこのシステムを作るとしたら、仮に不老不死であっても何千年かかるだろう?いや、何年あっても俺は重機を上手く扱えず、ビルも建てられないし、電気整備もできないからエアコンも取り付けられない。
いや、そもそもどうやって電気を作る?風力?原子力?その設計図どうすればいい?
俺が仮に何百人、何千人いようとこの世界はできていない。
俺だけが仮に作った世界よりも何億倍良い。そんな奇跡の中に俺は生きている。
視点を戻す。FXで含み損300万円だ。資産は700万円。毎月税金も含め50万円が消えていく。為替介入はこない、スワップでも毎日1万円減り続ける。
だとしても、俺がこの世界に生きる場所「居場所・住処」を与えられて、今、ここにいることに感謝はできる。
そういうことなのかなと思った。
俺は幸せとは何か?を人生をかけて追求したい。そしてそこに再現性があるのかを知りたい。
とんでもなく不幸な人は日本にもいる。虐待を受けて、親の借金が何千万円あって。そんな人もこの世界に感謝ができるのだろうか?幸せにむかえるのだろうか?
俺は残りの人生、誰かを幸せにしたい。そんな夢を一つ描いた。これが105日目。案外、1,000日目に本当に解脱するかもしれないな。



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