たった800万円でFIREした勇者

倒産伝説FIREまんの生活記録

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無職FIRE18日目|WAGYUMAFIAと言うポップアートを正しく演出する社会的あり方。

ブログ 無職QUEST
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人生を面白くするとっておきの方法がある。

それは「自分だったらできないな」と言う合言葉を唱えることだ。

例えば美術館に行き、バナナがテープで貼られているだけの作品があったとする。普通の反応は、こんなの誰でもできるだろ、これに1600万円の価値なんて意味わからん。そうなるわけだ。

これは実際の話で、その作品はComedian、作者はイタリアのアーティストMaurizio Cattelan。しかも3部作となっており、合計落札金額は6,000万円。しかも購入者であるパフォーマーがその場でこのバナナを食べたと言う話もバズりまくっている。

ここで視点を変える。自分だったらできないな。この後に続く理由を今から考えるんだ。

例えばわざわざこんな大きい場所を借りて、この作品をつくる発想が自分には絶対にない。なぜならこの場所を借りるのもXX万円かかり、これを出した時にお客様も集まらず、普通にすべったらきつい、そんな考えでもいい。

もっとアート的に言うなら交換可能なバナナという消費的モチーフを通じ、SNSで拡散される「見た目」や話題性に依存した価値形成へのアンチテーゼを提示。価格や注目の過熱そのものを作品に取り込み、現代社会における価値の空虚さと構造を批評的に可視化した作品だ。

つまり本当は意味がないのに、SNSで拡散される空虚な価値、影響力の広がりをこのバナナで表現した風刺とも言えるわけだ。自分にはできない。そう考えてみる。

これ、面白くない?

つまりバナナ自体には100円の価値しかないのに、それを煽ることで1600万円の価値になり、それを購入者がその場で食べることでバズる。

誰にとっても何の価値もないものが、さも素晴らしいもののように広がっていく。その構造を意図的に示したコンセプチュアル・アートである。知ると言うことが、その意味を示していく。

最近ではホリエモンのWAGYUMAFIAで食用菊をばら撒くのがモラルがない、HIKAKINのONICHAが海外産の安い麦を使っているとか、キャバ嬢の「あなたの年収1日で稼げます」発言など様々なニュースがSNSを駆け巡った。

その時にあなたはどんな気持ちで批判しただろうか?

もし心の底から、腹が煮え繰り返るくらいの憤りを覚えていたとしたら、やっぱりあなたはこの世界で一番単純な民衆という名のポップアートに過ぎない。

本当は誰もそんな議論に興味はないんだ。ただ、意味のないことが拡散されバズる、この無駄な世界に飛び込んでパフォーマンスをしている。あたかも興味のある民衆のように。なんてこの世界はアートなんだろうね?

だからこそ、ここでパフォーマーになり民衆を面白く扇動し、SNSの中心になるのもよし、自分にはできないな、なぜならと言う枕詞を考えて、このアートに名前をつけるのもよし。

あなたはこの世界の消費者かパフォーマーかアーティストか、それとも無職という名の部外者か、選ぶことができる。そして消費者以外はみんなプロレスリングを眺めながら、決まったシナリオと言うお約束を知らないふりして、熱狂する。

この世界には筋書きを超えてしまうセレンディピティが時折生まれてしまうからだ。

さて、昨日のセレンディピティだ。4万円負け天井単発、もう藤商事は無理だと思い離席して、諦めきれずもう一回打ち始めたらなんとか1,000枚越え、あぶな。

ギャンブルなんてやらない!と言う人も多いですが、よくやるよな、自分だったらできないな、なぜならと言う枕詞の先に、あなたが楽しめる理由を知れるかもしれない。

何が面白いって確率を計算しながら打つとすごく面白いのよ。自分の運と作戦と予測と、こんな勝ち目ないだろと言う攻略と。いつかの記事でそんなことも書こう。本日はここで終了。

無職だからね、ここから先は労働(一方通行)だ。

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