常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである
アインシュタインの言葉。
がむしゃらに生きて、時の流れをまだ感じられていたのは28歳くらいまでな気がする。
そこから先は年月だけが過ぎ、心はいつまでも変わらない。正直な話、趣味嗜好、考え方も精神性も高校生から一向に変わらないようにすら思える。
そして18歳までに得られなかった時間を、人生の折り返しで回収しにいくように思える。
俺はというと中学生まで習い事で忙しく、親が厳しかったので漫画やゲームを買ってもらえず、学校から習い事への1時間くらいの余白で友達の家に行き、ゲームをするような毎日だった。
だからか無職でのんびりFIREしたいま、スロット、アニメ、漫画、youtubeで埋め尽くされている!今、読んでいるのはメイドインアビス。
無職30日もすれば自分は働きたくなるのではないか?新しいアイデアを試したくなるのではないか?人と関わりたくなるのではないか?なんて予想していたが、まったくその気はない。
あの日の空白を埋めにいく。人生最高の幸福度が今だ。
人生のどん底、幸福度が最悪になるのは40代後半〜50代前半(平均48.3歳)。この現象は「中年の危機」や「エイジングパラドックス」とも呼ばれ、世界共通の傾向だ。
理由は思い描いた未来への到達できない絶望、これから先のもう変更の効かない恐怖。経済的、キャリア的にそう思う最終段階。
しかし70代になると過去最高の幸福度ピークが訪れる。それは感謝の念や新しい発見があるからだという。
これは俺の推測であるが、40歳までは「自分が何者かになれる」とまだ信じていて希望にすがりつく。だから不幸を見ないふりして走り切れる。
そして60歳を過ぎると「自分が何者でなくてもいい、今生きているだけでいい」そういう気持ちの変化があるのではないかと思った。
Human-being、人間はHuman-doingではないから動いていて、何かを達成しなきゃ人間なわけではない。存在しているだけでいい。その気づきこそが幸福度を上げる要因な気がする。
人が不幸になるのは何者かになれなかった絶望を感じた時。
そして何者になりたいかは18歳までの憧れで決まるのではないかと思う。
人生はその何者かになりたかった18歳までの憧れを捨てていく旅のように思える。
偏見のコレクション、趣味嗜好、思い、願い、憧れ。それをそっと置いていく。強くならなくていい、無理しなくていい。成長が止まったのではない、呼吸を始めただけ。
人生における目的とは何者にもならない=オリジナルになることなのかもしれない。まぁ無理すんなと昔の自分に言いたいね。
幸福度とはすなわち、降伏度なのである。俺は完全にお手上げ!!!



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