「この世にヒーローがいねぇなら、俺がヒーローになってやる!!」意外と誰しも心の中では主人公である。
かく言う何もしたくない人間の俺もどこか、驕り昂りの花を咲かせ、無職7日目なんらかのインパクトを社会に与えていたかのような錯覚の中にいた。実際はというと、俺が7日間働こうと働くまいと社会的には何のインパクトもない!!
いやむしろ、働いている=社会に参画している、それはつまり世界にとって良いことをしていると思い込んでいただけで、自分がしていた仕事なんて自分のライスのためであり、なくても誰も困らないものであったと気づくのである。求められていない仕事だからこそ会社は潰れる。
給料とは「誰かの時間を浮かせる分」
そう、何かの成果に対してではなく、自分より優れたもの(上司や社長)の手を浮かせ、より鋭い思考をしてもらうための労働の対価である。会社とは社長の視野と視座をいかに高くし、正解のビジョンという設計図をたて、部下とは、そこのエンジンや保護装置になりきること。
でもお金を稼ぐはそれとは違う。
俺が無職6日間でスロットで稼いだ9万円は「無職で偉いね」と与えられたものではない。ただの運である。
2022年のイグノーベル経済学賞により成功の要因が「才能」ではなく「運」であることが数学的モデルで証明された。成功とは、実力ではなくランダムで発生するイベント(幸運)が重なることで発生しており、平凡な才能でも運が良ければ最大化する実態が示された。
もっと深掘る。成功や富は「80-20の法則(パレートの法則)」のように一部に集中する。
「非常に才能があるが不運な人」より、「そこそこの才能を持った幸運な人」の方が成功する。現実では、平凡な能力の持ち主が、運によって「才能に溢れた人」として評価されることが多い。
つまりは平安時代であれば相手にされなかったかもしれないが、令和という時代にマッチした美貌、メディア露出に乗っかれたこと、良い箱に恵まれ、良いお客さまに当たったこと、もしかしたら家庭環境、子供の頃に見ていたテレビ、そこで培ったギャグセンス、そういう運の集大成である。
4月生まれは「能力が高い」
なぜなら学校において、4月1日生まれと3月31日生まれは同じ学年になるが、1年の生まれの差がある。当時の1年は体つき、脳の発達においても非常に大きい。
心理学で「出来る人」認定されると、実際にパフォーマンスが向上するという現象がある。「ピグマリオン効果」や「セルフ・ハンディキャッピング」などと呼ばれ人は与えられた環境の中で良くも悪くも演じていくのである。
キャバ嬢「あなたの年収を1日で稼ぎます」のやり取りを見て無職が思うこと

社会のレールから外れた俺からするとみんなキラキラしてて偉いと思う。美人で頭が切れる女性が稼ぐ世界は美しい、年収400万円の自分を変えようと叩かれるのを覚悟でメディアに出る男性も素敵だ。エンターテイメンツ!
無職で社会との繋がりを完全に切ったら、特に誰とも比べることもない。そんな目で見ると、誰しもが「自分はこうでなきゃならない」という焦燥に駆られ過ぎているように思える。
冒頭に戻る、俺がヒーローにならなきゃならない、わけではない!無理をしすぎじゃないかな?
その綻びが社会的なウィークタイを助長し、奪い合い、落とし合うことに繋がっている。君が休んでも、声を荒げなくても、存在を証明しなくても、世界は君を抹消しない。
グリーン車で満席にもかかわらず、誰も隣に座られないよう、鞄をおいてガードしたり、通路側を死守したりそんなビジネスマンが多い。そんなにも守らないと崩れてしまうほどキツいなら、やめてまえ。
俺は仕事をしていた頃、24時間降ってくる仕事のLINEを見たくなくて朝起きるのが遅くなった。夜はyoutubeでパラレルワールドや都市伝説ばかり見ていた。
Mr.Childrenの桜井さんが何もせずテレビを見ている時に一番幸せを感じると言っていたのが印象的だ。
無になる方法が坐禅しかない現在、もっと根本、悟る前に無職になりなさい!
無職7日目、深夜2時に寝るのに、朝6時に起きる。今日が楽しみで仕方ないんだ。ただスロットをして運否天賦、一喜一憂するだけ。社会に1mmのインパクトも与えない。それでいい。その先に無理のない自分なりのアドラバーストがある。

そんな運と無職に生きる俺、スロットで72,000円のストレート負け!!高設定示唆(強)を信じてぶん回したところ、CZは早いが全くのびず大敗。
結局は打席に立った回数 x 運。努力は素晴らしいが、努力できる環境を与えられたこの世界に感謝ってこと。つまりLOVE!



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