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無職FIRE51日目|Lv.義務感|10億円を捨ててもやりたいですオーディション。

ブログ 無職QUEST
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義務感にも気づいている範囲と気づいていない範囲がある。

例えば管理職だったおじさんが無職になって、誰の評価も不要なのにLINEに即レスしてしまうのは習慣化された義務感だ。もはや若い世代はLINEを見ないと言うのに、おじさんは必死に若者のLINEを返信する。悲しく、無意味な義務感である。

こういった気付けるが、習慣化された義務感はゆっくり意識して取り除いていける。しかし無意識的な願いに近い義務感は少し厄介だ。

俺は中学生から26歳くらいまで音楽の道を志してバンドを組んでいたことがある。歌で世界を変えたい。元気にしたい。希望を与えたい。本気でそう願っていた。

しかしあるときにハッとする!俺はあまり人前に出たくないし、関わりたくない、表現もしたくない。俺が本当に欲しかったのは「音楽による印税」だ。中学生でその夢を志した時から、一攫千金、働かずに生きていければいい。安心が欲しい。その手段が芸術しか思いつかなかった。だから音楽を始めた。

本当に理由はそこだけなのに、いつしか願い、祈り、夢に心酔し、自分に没頭し、叶えることが義務感になっていた。手段と目的を混同してはいけない。この言葉はいつになってもハッとする。このように勝手に形成され、自分をも洗脳する厄介な義務感がある。

もちろんその義務感で熱心に生きるのも貴重な人生ではある。でも決して、決して、決して、それは叶わないし、いつかハッとした時に「自分でも本当は興味がないのを知っている」から手を抜いていたなと思う。成果を出すことしか考えず、実は楽しくないから上達もしない。

世の中のほとんどが実はこれだと思う。そこでだ、どうやって無駄な義務感か本物なのかを区別するか方法を考えた。それは「10億円あげるから辞めてオーディション」である。

例えば想像してほしい。アイドルのオーディションを受けている子に「次の審査に進むか、10億円あげるから今後一切アイドルを志さないか選んで」と言われて、悩むものは本当の願いではない。

俺は10億円あげるから今後一切、仕事をしてはいけないと言われたら喜んで仕事をしない!だけど、10億円あげるからFXやスロットを二度としてはいけないと言われると結構悩む。さらに10億円あげるから、このPV0のブログをやめろと言われても実は少し悩む。

ちょっとやりたいな、なんて思う。もちろん最終は10億円を選ぶとは思うけど、ちょっとやりたいなと思う。

例えば10億円あげるから今後2度と自分の意志でビールを飲んではいけない(付き合いでしょうがない場合は除く)と言われた場合、俺はビールを飲まない。ゲームセンターに行ってはいけない。うん、行かない。ゲームをやってはいけない。うん、やらない。サウナは行きたい。

そう考えていくとヨコシマな思考や変な習慣で義務化してしまった嘘の願いを削っていくことができる。

俺は常に「やらないを決めること」の重要性を語っているが、どう決めたらいいかわからない場合はこんな風に一個ずつ考えてみるのも良い。案外、お金のためにとか、損得勘定、サンクコスト勿体無いでただ続けているだけの嫌いな習慣に包まれているものだ。

明日は意識レベル52、惰性。

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